地持院の風景。博道和尚の、毎日の作務で磨かれていく景色。
次の世代に、残されていくことを想定されて造られるもの。
私が、お客様をよくこのお寺にお連れするのは、
あなたがこれから造ろうとする家も、同じ想いで造られるのだ、というメッセージを伝えたいからだ。
先日、能の師匠から夜、電話を頂いた。
また能楽堂に触れる機会があるかもしれない。
早速、伊東の加藤さんに都合を聞いて見る。
二つ返事だ。忙しい身なのに。
想いがすぐ伝わる。数奇屋建築の私の師匠。
末永く残って、多くの人達の目に触れて、愛される建物の工事に携われることの喜び。
これが建築に携わる者の喜びだ。
決して楽な仕事ではなく、逃げも隠れも出来ないものを、多くの人の目にさらすことの厳しさは、それを意識した人間でなければわからない。
それが建築だ。そこには ものの大小とか、金額の大小は関係ない。
大小関係なく、それぞれ完結した姿がある訳で、何時だって建築屋は、それを追及しなければならない。
言い訳はできない。
でも今日日のニュースを見聞きすると、どうも違う考えで建築に携わっている人間が増えているらしい。
20年、30年で消えていく、単なる耐久消費財。
売れた売れないで評価される、単なる商品。
金儲けの一手段として、建物を売る、造る。
確かにそうだ。そのへんに違和感を覚えて、会社を出たんだった自分は。

