余部鉄橋のすぐ近くに余部駅がある。
駅に行くには、急な山道を息を切らせて登らなければならない。
なにせ、鉄道は天空はるかなところを通っているのだから。
明治45年に山陰本線は余部鉄橋が完成することによって開通した。
しかし、余部の人々は汽車に乗るためには、いくつも山を越え隣の鎧の駅まで行かなければならなかった。
ああここに駅があったならと、余部の人たちは頭の上はるかに汽車が通るのを見上げていたに違いない。
そこで陳情がはじまる。
余部鉄橋の脇に駅を作ってくれと。
これは、余部の人たちの悲願になる。
そして、陳情が実ってついに駅が出来たのが昭和34年だという。
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駅の工事が始まると、余部の人たちは総出で奉仕をした。
小学生も、中学生も、ふもとから玉石を抱え、モッコにかつぎ、
急な斜面に道を作り、駅を作った。
その時の記憶を残そうと、平成になってからまもなく、地元の中学が中心になって壁画を描いた。
少しづつ剥がれてきていて保存状態が気がかりだが、その時の情景が壁画を通してよく伝わってくる。
この鉄橋にまつわる話、きっとたくさんあるんでしょうね。
余部鉄橋は、風雨に叩かれいたんだ体を横たえて、僕達に静かな感動を与えてくれる。
ナント余部駅まで上がられていたとは・・。シンドカッタと想像できます。
駅までの仮歩道(単管で造られていた物)は弊社工務部の作品(?)です。
余部鉄橋のご紹介有難うございます。貴重なわが町の財産ですが…。