2012年09月12日

上海バンスキングの現代性

上海






上海バンスキングのことがきのうも話題になった。

と言うよりも、私が上海バンスキングのことを話すものだから

周りの飲み仲間が興味をすこし示したにすぎない。


急速に軍国化していく日本から出て、

上海でジャズ三昧をして自由を謳歌する人間達。

当時の中国には申し訳ないが、

西洋列強が治外法権のように上海をわがもの顔に使っていた時代。

そこに当時の日本も租界を作って、

西洋人に交じって同じような事をしていた。


前借して放蕩して、夜毎ジャズに興じて自由を満喫している人々に、

イギリス人もフランス人もアメリカ人も日本人も、区別は無かった。


退廃的だと言われようが、

自由な発想、芸術、音楽はこういうところから花開いていく。


そう 彼らには国境は無かった。

しかし、「一緒に逃げて」、と中国人の恋人に懇願されても、

赤紙から逃げることのできない男。

「愛のために日本を捨てられますか」と迫られて、たじろぐ男。

国境という、言葉も、現実も、実に重い。


みんな自由になって、上海バンスキングのような気分になれたら、

国境なんか無くなるのにね。

それは、地球のみんなが退廃的にならなきゃ無理なのでしょうか。

「現実のことばかりにムキになるなよ。夢見心地に仲良く暮らそうよ。」

なんてことは、アヘンでも吸わなきゃできないかもね。  問題発言でした。


上海バンスキングの現代性と言うのは、

上海の自由は戦争によって蹂躙されて、影も形もなくなってしまったんだけれど、

敗戦後、自由な国になった途端にはじまった、日本と言う国の右傾化は、

首尾一貫して続いていて、現代にいたっているということ。


少しづつ少しづつ、でも確実に迫りくる「ナニモノ」かの存在を、

多くの人々が感じ取っている。

自分の心の中だってゆれている。


僕らは、現代の上海バンスキングの時代を生きているのかもしれない。

バンス





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