2006年04月06日

陶土発見

陶土1

私の住んでいる地区には、縄文の遺跡が埋まっている。
最近でも新築の家の着工時に発掘をしていたところがありました。
見事な竪穴式住居跡が見られました。

縄文の土器が出るところには必ずその土器を作った陶土がある。
陶土があるということが遺跡誕生の一つの条件だったに違いない。

だから探せば必ず陶土がある。

私の青の家が出来たときに、芳村先生がたった一度だけやってきて、そのとき一緒に土器と陶土を探した事がある。今から10年前です。

土器のかけらは拾えたが陶土は見当たらなかった。

しかし必ずあると私は思っていたので、思いついたときに近くの林道をジープできょろきょろしながら走ったりしていた。

去年の大雨のときに崩れたところがあると聞いていたので、その付近に行ってみた。

そしてついにそれらしき粘土にめぐり合ったのです。

この付近白井沢という地域で、年寄りの話を聞くと、子供のときに白い粘土で遊んだと言うので、きっと沢筋に粘土は存在するだろうとふんでいた。

雨で滑るので採集する事はできなかったが、私の経験ではこの土で焼き物ができるはずです。

また楽しみが出来ました。

芳村先生が生きていたら真っ先に報告に行ったのにね。



陶土2  

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2006年02月03日

珍奇を戒め、異形を禁じ

中村和室

米沢藩上杉家に伝わる古文書。
成島焼について書かれた文書。
「珍奇を戒め、異形を禁じ、美をいやしみ、丈夫さを尊び、、、」

芳村先生に教わった言葉。

設計にあたってちらちらと頭の中に浮かんでくる。

最初はよく理解できなかったけれど、
作意の無い、何でもない納まりほどやればやるほど難しく奥が深い。

なんでもないすがたかたちを、美に変えていく事の難しさを、この仕事やればやるほど骨身にしみる。

でもそこらへんで苦悶している自分は、まだまだだという事だ。

「いらぬ事は一切するなよ。」と言われてとりかかった庭が一番難しく、怖かったという話を庭師から聞いた事がある。

自然に身に付いた所作。無心にひいた一本の線。
そこに美が宿るようになるには、、、。
気が遠くなる。

余計な事をしないところが良いところだと、Kさんは言ってくれる。
唯一の救いです。  
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2005年11月13日

駄目な土なんかない

土1

このあいだ5歳になった息子が、茶碗を作った。


固くなる土が欲しいと言うので、パパの秘密の土をあげよう、ということになって、
いつか芳村先生と採ってきた土をあげた。

そしたら、いじっていたらネバネバの粘土になってきて、大喜びでお皿のようなものを作った。

そうっとしておくとコチコチになるぞと教えたら、立派に割りもせず乾燥させた。
土2
これは、焼けばきちんとした器になります。



今度焼いてあげるからなと言ったが、よく意味がわからなかったようだ。
やきものに仕上げたら喜ぶかな。

ちなみに、今度4歳になる弟のほうは、こんなもの作った。
土3土4





造形的にはこっちのほうが面白いね。
才能あるのかな、と僕も親バカ。

駄目な土なんて一つもない。駄目なのは一つの技法に固執している人間だ。
どんな土もみな素晴らしい。と芳村先生は言っていた。
いつも肝に銘じています。

そしたら、子供が実践して見せてくれた。

作品に仕上がったらまた見てください。

だめな木なんて一本も無いと、また言いたくなった。
  
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2005年11月10日

粗茶一服いただきました

粗茶一服1


粗茶一服差し上げたく、、というご案内を頂いて、今日朝から着物着ていそいそと出かけました。

もちろん電車で。

お茶事にはお酒は付き物で、これがまた美味しいんだな。とても吟味された酒が出るわけで、旨いわけなんです。

平日の昼まっから、そんなことやってる場合じゃないだろ、と言う向きもあろうかと思いますが、どうしてどうしてこれが大切なのよ。

日常のさなかに、いきなり非日常の世界に、飛び込むことができるなんて、お茶の世界でしかないでしょう。

窮屈な世界に自らを縛ることによって、思考を無限のかなたに開放できる。

それにしても、鉄骨の建物の中に組み込んだ茶室が、本格的なお茶事に使われるなんて、I先生お見事です。先生の頭は柔らかい。自由だ。あなたこそお茶人です。

お連れの客人もよかったな。

昔の日本人のように、和服をさらりと着こなすH先生にも、久しぶりでお会いした。今日も粋だったねえ。

お能の達人のIさんは紋付き袴だった。場が締まる。
僕は紬の着流しだったから、少々くだけすぎたか。

粗茶一服2






久しぶりに、お茶室の静寂の中で心が洗われた。
手水に落ちる水の音が、とても心地よかった。

お手前美しかったです。日本人の所作の美しさを、改めて今日見た。

お茶室を造るというときには、必ず使えるように造る。
値段の大小ではありません。
数奇屋建築でなくたっていいんです。
きちんと、人をもてなす心使いができるかどうか。
そのための動線がしっかり考えられているかどうか。

使えないお茶室を造って、さあ見てくださいと見せられることがあるが、なんと言っていいやら、言葉を失う。

見る人が見ればすぐに判ってしまうこと。怖いですよ。

値段の大小ではないんです。ちゃんとわかって造ること。
それが出来ないんだったら、茶室と名の付くものには、手を出さないほうがいい。


我が家で、茶会めいたものを時にやって見ようかと、前から思っていたがいよいよそんな気になってきた。
気のおけない仲間で集まって、お茶を楽しんでみたいと思う。

そんな気にさせてくれた、I先生に感謝です。ありがとうございました。


粗茶一服3粗茶一服4  
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2005年07月27日

毎日見る

毎日見るまるいやきもの





最近、玄関の正面に置いてある。

いつだったか、何でだったか忘れたけれど、芳村先生からもらったものだ。

いいかたちだよなあ。

こうゆうかたちを、毎日見ていたら、人間もまるくなれるかな?

でも、先生自身がまるくはなかったよな。
けっこうわがままに生きていたよね。

決してまるくはない人間が、こういう見事なまるい作品を残すか、、、。

まるくなんかなるな。って、先生の声が聞こえてくるような気がする。
  
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2005年07月19日

先生と奥さん

芳村先生の奥さんの絵美さんが亡くなってから3週間ほどたつけれど、家族の夢の中に一度も現れたことはなかった。

孫の、高校に行っている女の子がおばあちゃんの夢を見た。
もう死んでいないはずのおばあちゃんと、みんなでおじいちゃんの病室へお見舞いに行った。
おばあちゃんは、おじいちゃんといつものような夫婦漫才のような会話を交わし、おじいちゃんのことこまごまと注意したり、しかったりした後。

突然言った。

ところであなた、私がもう死んでしまってこの世に居ないこと知ってた?

、、、う〜ん、なんとなくそんなことも、感じてはいたんだけど、、、もごもごとおじいちゃんは答えた。

あなたがだらしがなくて、心配でしょうがないから、こうしてまた見に来てあげたのよ。

、、、、ママがこの世に居ないんだったら、僕もこの世に居てもしょうがないなあ。

おじいちゃんはそう言って、おばちゃんと連れ立って二人で病室から出て行ってしまった。

その日の未明、先生は病室で静かに息を引き取っていた。

この話を娘さんの真紀子さんから聞いて、僕はそのときの様子がありありと目に浮かんだ。
一緒に聞いていた女性は、よかった、と言って涙を流した。

奥さん、みんなを安心させようと、先生と一芝居うったかね。

古くからの、へんど会のなじみの原さんが、先生の顔見ていこうよと言うので、一緒に見た。

先生の顔は笑っているように見えた。
  
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2005年07月17日

思想の根っこ

雨楽の根っこ

芳村先生は陶芸家であり、土の研究家だった。そして土と対話できる希有な哲学者でもあった。

僕は、何かあると先生の所に出かけていっては、話を聞かせてもらったものだった。
先生は土の話しかしなかったけれど、含蓄と示唆に富んでいた。
前向きで、やらなければいけない事がいつも山のようにあって、希望にあふれていた。

僕は、先生から生き方を学び、たくさんの元気をもらった。
先生が、土くれの素晴らしさを追い求めているように、僕は日本の家作りの素晴らしさを追いかけようと思った。

雨楽という家作りの思想の中に、土がきわめて重要な素材として存在しているのは、僕が芳村先生の弟子だからである。

土くれの探求に人生の全てをかけた人。僕はその人の弟子だったことを誇りに思う。

リック工房時代に、雨楽な家の会報に、芳村先生のことを2回ほど書いています。機会があったら読んでみてください。

また、芳村俊一先生の、土や窯や釉薬についての著作はたくさんあるので、興味のある方は読んでみてください。専門書としての内容も濃いけれど、行間ににじむ先生の人生観や哲学がとても魅力的です。

雨楽という家作りの思想の根っこに、芳村先生という人が存在していること、知っておいて欲しいのです。

土は、どれも素晴らしく、偉大だ。と言っていた先生。

今日、先生の通夜です。
  
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2005年07月16日

芳村先生のごつごつした茶碗

芳村先生のごつごつした茶碗

昨日、芳村先生が亡くなった。

連絡を受けて話を聞いているうちに、頭の中が白くなってしまった。

資料館のある吉奈から、東京の病院に入ってしまって毎日何を思っていたんただろう。
吉奈に帰りたかっただろうなあ。
あんなに自由を愛した人なのに、最後は不自由だっただろうなあ。

先月奥さんが亡くなって、まるで後を追うようにばたばたっと二人とも、突然居なくなってしまった。
ある程度、いつかはこういう日が来ることは考えていたけれど、現実になって、しかも、さらりとこうなってしまって、事実として受け止めることが出来ないでいる自分を感じる。

後悔。後悔。後悔、、、

何で自分は、先生と奥さんの最後の時間に、もっと近くに居られなかったんだろう。
できの悪い自称弟子と、いつまでも馬鹿な息子として、何で僕は近くに居なかったんだ。

僕が何も出来ないまま、うろうろしてるうちに、二人はこの世から居なくなってしまった。



  
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