粗茶一服差し上げたく、、というご案内を頂いて、今日朝から着物着ていそいそと出かけました。
もちろん電車で。
お茶事にはお酒は付き物で、これがまた美味しいんだな。とても吟味された酒が出るわけで、旨いわけなんです。
平日の昼まっから、そんなことやってる場合じゃないだろ、と言う向きもあろうかと思いますが、どうしてどうしてこれが大切なのよ。
日常のさなかに、いきなり非日常の世界に、飛び込むことができるなんて、お茶の世界でしかないでしょう。
窮屈な世界に自らを縛ることによって、思考を無限のかなたに開放できる。
それにしても、鉄骨の建物の中に組み込んだ茶室が、本格的なお茶事に使われるなんて、I先生お見事です。先生の頭は柔らかい。自由だ。あなたこそお茶人です。
お連れの客人もよかったな。
昔の日本人のように、和服をさらりと着こなすH先生にも、久しぶりでお会いした。今日も粋だったねえ。
お能の達人のIさんは紋付き袴だった。場が締まる。
僕は紬の着流しだったから、少々くだけすぎたか。
久しぶりに、お茶室の静寂の中で心が洗われた。
手水に落ちる水の音が、とても心地よかった。
お手前美しかったです。日本人の所作の美しさを、改めて今日見た。
お茶室を造るというときには、必ず使えるように造る。
値段の大小ではありません。
数奇屋建築でなくたっていいんです。
きちんと、人をもてなす心使いができるかどうか。
そのための動線がしっかり考えられているかどうか。
使えないお茶室を造って、さあ見てくださいと見せられることがあるが、なんと言っていいやら、言葉を失う。
見る人が見ればすぐに判ってしまうこと。怖いですよ。
値段の大小ではないんです。ちゃんとわかって造ること。
それが出来ないんだったら、茶室と名の付くものには、手を出さないほうがいい。
我が家で、茶会めいたものを時にやって見ようかと、前から思っていたがいよいよそんな気になってきた。
気のおけない仲間で集まって、お茶を楽しんでみたいと思う。
そんな気にさせてくれた、I先生に感謝です。ありがとうございました。