2008年07月07日

雨中有楽 余部鉄橋はっけん

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こっ、こんなところに。
余部鉄橋があったのでした。

これは余部鉄橋のすぐ下の、余部地区の住宅街の道路沿いの側溝です。
側溝のフタに なんと余部鉄橋の部材が使われているのです。

鉄橋を見上げてすぐに気がついた。
あれ、鉛直ブレースが新しくなっていると。

そのブレースの部材が、なんと側溝のフタになって再利用されていたのでした。

鉄骨構造の部材を接合するときに使われる、
スプライスプレートや、ガセットプレートがそのまんま側溝のフタになっている。

いやあ、驚きました。
こんなところに余部鉄橋がいたとは。
ちょっと感激。

しかもね、道路を歩くと、あっちにもこっちにもあるんですよ、余部鉄橋が。

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もう半分腐食しているものもありますね。

きっとブレースの改修工事の時に、廃棄処分されるこれらの部材を、地元の人たちがもらい受けて側溝に並べたんでしょうね。

余部鉄橋はその本体も見応えがありますが、
ちょっと目を落として、足元を見ても楽しませてくれるんですよ。  

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2008年06月06日

雨中有楽 余部駅のこと

余部駅1
余部鉄橋のすぐ近くに余部駅がある。
駅に行くには、急な山道を息を切らせて登らなければならない。
なにせ、鉄道は天空はるかなところを通っているのだから。

明治45年に山陰本線は余部鉄橋が完成することによって開通した。
しかし、余部の人々は汽車に乗るためには、いくつも山を越え隣の鎧の駅まで行かなければならなかった。

ああここに駅があったならと、余部の人たちは頭の上はるかに汽車が通るのを見上げていたに違いない。

そこで陳情がはじまる。
余部鉄橋の脇に駅を作ってくれと。
これは、余部の人たちの悲願になる。

そして、陳情が実ってついに駅が出来たのが昭和34年だという。

奉仕
駅の工事が始まると、余部の人たちは総出で奉仕をした。
小学生も、中学生も、ふもとから玉石を抱え、モッコにかつぎ、
急な斜面に道を作り、駅を作った。

その時の記憶を残そうと、平成になってからまもなく、地元の中学が中心になって壁画を描いた。

少しづつ剥がれてきていて保存状態が気がかりだが、その時の情景が壁画を通してよく伝わってくる。


鉄橋





この鉄橋にまつわる話、きっとたくさんあるんでしょうね。

余部鉄橋は、風雨に叩かれいたんだ体を横たえて、僕達に静かな感動を与えてくれる。

  
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2008年06月02日

雨中有楽 余部(あまりべ)鉄橋

鉄橋1往って来ました。余部鉄橋。
今、静岡県由比町の一部の人たちの間で話題の中心の鉄橋です。

事務所のN君の出身地にある事。
「へんくつおやじの菓子屋」の親父が、若い頃列車で渡ったことがあるということ。
ペンキ屋の中野の親父さんが、ペンキを塗りに行ったことがあるということ。

とにかく、へんくつおやじの菓子屋の開店祝いの席で、余部鉄橋の話で盛り上がり、
私も、なんとしても見てみたいと思っていたのでした。

鉄橋2これはね、はっとしましたわ。
海岸沿いの深い谷に渡された、天空を行く一本の橋。

きれいですよ。
余計なものはひとつもない。

ぴんと張り詰めた構造美。
鉄骨の構造物を追求していた駆け出しの頃を思い出します。

鉄橋3
明治45年に開通したそうです。
橋脚はアメリカの会社で作って船で運んだそうだ。


余部は30戸くらいの漁村で、はしけに積み替えて砂浜に陸揚げしたんだって。
機械のないころの事、大変な作業だったんでしょうね。

橋桁は、石川島造船所で造ったそうだ。
今のIHIだね。

とにかく難工事だったんでしょう。
丸太の足場を、空中高く組んだんだろうな。
目に浮かぶね。

鉄橋4次は、この橋を列車に乗って渡ってみたいね。
  
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