写真がかすんでいます。
頭もかすんでいるからか。
そうとう前の話。私がまだ三十そこそこだった頃。
お茶の先生が、能を習わなければいけないわ、と言うので能を習い始めた。
当時の三島のモデルハウスを能の稽古場に夜間使ってもらうほど私なりに傾倒した。
日本の文化の最高峰の文化芸術の稽古をしているんだという高揚感があった。
水道橋の能楽堂では何回も仕舞を舞う機会を頂いた。
結婚式にはお茶の先生と、能の大先輩に地謡いをお願いして、新郎自ら高砂を舞った。
思えば恥ずかしい。
宝生流の辰巳満次郎先生のことを師と呼ぶことが出来ることはちょっと自慢でもある。
先生は弟子だとはもう思っていないかもしれないが。
でも先生のおかげで水道橋の能楽堂の改修工事もさせていただき、いまだに能楽堂か
ら声をかけていただいている。本当にありがたい。
それで、宴席などでは謡いをうなりながら、仕舞を舞うなんてことも酔った勢いでやったこともあり。
酔って家に帰る途中で謡いをうなる。
家に帰ると仕舞を舞う。
なんてことが、お酒を飲んだ時の私のいつものパターンとなり、
そのことを小学校低学年の次男に、学校の作文に書かれたことがあり、
担任の女先生が、私の顔を見た途端に笑いをこらえきれずに、吹き出したこともある。
だけどね。能はやっぱりアートで、しかも男の世界。
黒紋付に袴は確かにいいけど、やっぱりかたい。
お弟子さんには女性も多いけれど、皆さん御年輩でね。
と言うことで、最近小唄にはまっています。
小唄はいい。
なんたって芸者と遊べる。
なんたって芸者が師匠。
稽古場は検番で、芸者衆が習いに来ているし、半玉さんたちがお茶を出したりしてくれる。
これは男のパラダイス。
習っているのはほとんど男ばっかりで、ほとんどが私よりもずっと御年輩。
皆さん座敷で芸者と粋に遊びたい一心で稽古に通う。
近頃はすっかり堕落しまして、能ではなくもっぱら小唄に精を出しております。
というのは最近の私の口上。
写真は二月の小唄の会の新年会でのひとこま。
やっぱり目もかすむわ。